「俺がやらねば誰がやる」:未来へ繋ぐ「感謝の記憶」

指宿海軍航空基地碑哀惜の碑

映画「俺は君のためにこそ死ににいく」の映画を目を背けながら見ている(苦しくてまともに見れない)最中でもあり涙が止まりません。

戦後80年目の節目の年に、奇妙なご縁で寄贈した、特攻出撃兵の形見の品が、日本のために散らした若い命の記憶として心に残っているからです。

記憶を繋ぐ「奇妙なご縁」と懐中時計の物語

「特攻」というと、知覧が有名ですが、指宿からも9名の特攻兵の出撃の記録が残っています。
指宿の海軍慰霊碑を参拝し、海軍兵の82人の貴重な命がこの地で散っていったことを知りました。
今回寄贈したのは、その、特攻出撃兵の形見の品だった、懐中時計です。

私の社会保険労務士としての師であり、人生の師のひとりでもある平松先生のご長男からの依頼でした。
平松家は、指宿市の光明禅寺という禅寺の住職を平松光山先生の時代からなさっています。

私の師である平松先生のご尊父・平松光山先生の所に、禅宗の特攻兵たちが出入りしていて、特攻前に「私の形見をもらってください」と、平松家にわたったそうです。

戦後、光明禅寺を訪れたご遺族の方も多くいましたが、主を亡くした懐中時計はそのまま平松家にあり続けたそうです。

私の手から指宿市立図書館に寄贈させていただきました。この時計は今後図書館に展示されます。

悲劇を悼み、未来へ感謝を繋ぐ

戦争を美化する気は毛頭ありませんが、

鹿児島だけではなく、沖縄・長崎・広島・アジア大陸でも、日本人も米人も、ヨーロッパでも、世界中の数多くの人々が犠牲になっていきました。

散っていった貴重な命を悼んでいきたいです。
そしてその貴重な犠牲の上に、自分たち生活があることに、感謝をしなければならないと思います。

…今の子供たちにも、その記憶をつないでいきたいと、強く願った経験でした。

指宿海軍航空基地碑哀惜の碑

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